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多数決で決める。ソレ本当に民主的?

「民主主義って、多数決のことですよね?」

これは、日頃、若い世代との対話の中でよく聞かれる言葉です。
学校の授業でも、ニュースでも、なんとなくそう教わってきたのかもしれません。



でも私は、こう考えています。

多数決は、民主主義の「すべて」ではない。むしろ「最後の手段」ではないか、と。

■最後の手段「多数決」は “すり合わせの限界” のあとにある
意見がぶつかり、時間もなく議論が煮詰まってしまったとき、「もう、投票で決めましょう」となることがありますよね。



それ自体は悪いことではありません。
でも「最初から」多数で決める、が「当たり前」になると、少数の声が黙殺されてしまう可能性があります。

私たちが本当に目指すべき民主主義は、
「どんな立場や少数意見も、切り捨てられることのない社会」。


異なる価値観を持つ人たちが一緒に生きていけるように、
何度も対話し、すり合わせ、共通点を探し続ける。
それでも無理だったときに、最後の手段として“数”を使う。

それが、本来あるべき「民主主義の作法」ではないかと 私は思っています。

■「決まったんだから黙って従え」は危うい
数で決まったことに「違和感がある」と声をあげると、「もう決まったことなんだから、黙って従え」と言われることがあります。でもそれは、民主主義を「機能停止」させる言葉ではないでしょうか。

■民主主義は本来「大人の制度」!?
決まったことをみんなで実行するのは民主主義の大前提です。それでも、結果として多数となった側の意見は、その反対で捨てざるを得なくなった側の意見の存在を、謙虚に、強く意識するべきであろうと考えます。
決まったあとでも「本当にそれでよかったのか」と問い続ける権利と責任が、あるいはもしかしたら義務が、私たちにはある。そうした問いかけを止めないことこそが、社会を少しずつ良くしていく民主主義の基本的なファンクションなのではないでしょうか。

■ある意味「野蛮な制度」なのか!?
異なった意見を孕みながらも一つの結果に集約させていくことができる、それが民主主義の良いところであると私は思うのです。残念ながら、少数となった側の意見をねじ伏せるかのような現実もあり、それは「大人の制度」とはほど遠い「野蛮」とも言える危険な状態であろうと考えます。

■対話のある社会へ
「意見がちがうからこそ、一緒にいて分かり合う努力をすることがカッコイイ!」
そう言ってくれた若者がいました。
私はその一言に励まされ、対話を続けることを諦めずにいられます。

数に頼るのは時には楽なことかもしれません。しかし、どんなに小さな声にも、どんなに対立した意見にも、無視されてはならない大切な要素(メッセージ)があります。
真に民主的な文化社会を次の世代へ渡す努力を重ねてまいります。

————————————
[ところで]組織の決定は、本当に民主的か?
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多数決というと、一見「みんなで決めている」ように感じますが、例えば会社などでは「十分な対話や意見交換の場がなくとも、限られた意見や限られたメンバーによって方向性が決まってしまう」ということが起こります。
集団の中では、当事者でさえ納得できないまま、ただ流れに従わざるを得ない――そんな状況が生まれる危うさがあります。

まして、選挙など多数決のルールの世界にある組織は、より一層民主的であるべきだと思うのですが、残念ながら組織そのものがすでに多数決を拠り所に成り立っているため、内部における個々の意見の違いは不都合な存在となり、丁寧な分析や議論はされにくくなってしまう傾向は否めないと感じます。
この世界にこそ、多数決の原理に従いながらも少数派の意見を尊重し続ける成熟した民主主義が育つことを願い、私自身も努力を重ねたいと思います。

こしいし かつ子

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こしいし かつ子

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